■ 「思うこと」
僕の手元に「母校清陵そして同窓会」「東京座談会+清陵・春夏秋冬」という二つのビデオテープがある。中間選挙で推薦された時に、立候補しようか辞退しようか迷って借りてきたものだ。清陵OB・OGの在学当時の清陵や、思い出を話している様子が収録されている。ここでその内のおもしろい話の一つを紹介しよう。
52回生の話で、戦後しばらくの間、清陵高校に校長先生がいない時があり、久し振りに校長先生が来た時におそらく(あまり詳しく話していなかったので推測だが)学校の方針を変えようとされたのだろう。そこで当時の学友会長と校長先生が壇上で一対一の討論をされ、先生側が折れて生徒は「自治」を勝ち取ったのだ。(その時校長先生は倒れて救急車が来たらしい)。
今僕達が直面している「自治崩壊」という問題は、そんな先輩方の努力を無に帰すことではないだろうか。
ここで僕の「自治」について書かせてもらいたいと思う。僕が「自治」というものを始めて考えたのは中学校の時だった。僕は中学校時代から今まで自分の中で「まじめにかっこよく」(自分の両親を見て決めた事なんだけど)というスローガンを持って生きてきた。まじめな人はかっこいい。僕は先生に支配されるのがすごい嫌だから、他人から見れば決して真面目ではなかっただろうし、今もないと思う。僕の中の「まじめ」というのは、自分の中で決めた守らなければいけない約束を犯さない、という事なのだ。だから自分が違うと思う事には反発し、正しいと思う事は守ろうと思ってきた。実際は悪いと思ってやった事や悪いと思って守ろうと思った事は多々ある。だから自分はまだまだなんだけど、高校に来て「自治」の考え方が自分の考えと同じ意味を含むところがあって、清陵を好きになった。
でも今の清陵は違う。僕は僕が清陵を好きにしたいと思っている。
僕は清陵生である三年間(三年間かどうかは分からないけれど…)で出会う約一四〇〇人の清陵生の内、なるべく多くの人に自分を知ってもらいたいと思っている。だからせっかくこのような機会があるのだから、少し自分の事を書かせてもらいたい。
僕は人と話す時に男とか女とか全く意識しない。(そこに自分の欲望がないわけではないが)だから異性と話している時間は他の人から見れば多いだろう。最近このような自分の生き方が正しいかどうか考えさせられる事を(簡単に言うと「かるい」と)言われ、自分でもまだその問に対する答えが見つからないのだけれど、ただ一つ言いたいのは、僕の考えを知らないで、そう言われることは非常に憤慨である。だから僕の考えを知った上で言ってほしい。
すごい私的かつ支離滅裂な文章ですいません。本当に文才ないんです。これを書くのに要した時間は四時間。辞書を開いた回数は十三回。改めて自分の馬鹿さかげんに気付きました。勉強します。
終
(二−四小泉成生)
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