■ 清陵弁
六十五分はあれ程長かったのに一年がこれ程短かかったとは。早くも二度目の清陵祭を迎える。未だに自分が高校生だという実感はなく,テレビを見ては、全く今ドキの女子高生は、などとつぶやく一清陵生となった。同時に上下バキの兼用や階段に積もるほこり、投票率四十六%に何の疑問も持たなくなった。
現在の清陵に於いて改良すべき点は明確である。学友会正副会長選挙、事ある度に取り上げられている。課題はよくよくわかっているのに解決のきざしさえ見えない。日本の国と相違ない。
諸先輩方から、今ドキの清陵生は、と言われている。ではどの様な状態なのか?まず会員は無関心である。会員とは名ばかりで、本人達は自覚など無いに等しい。無関心だから総会に行かない。誰が会長か知らない。現況がどうであろうと何も思わない。そして学友会は不親切である。誤字脱字だらけのプリントを堂々と配布する。お友達同志で和気合々と盛り上がっているだけで、端から見ると何もわからない。
不親切な学友会は無関心な会員の気をひこうとするのだが、なにしろ無関心なので振り向くことは滅多にない。興味を持て、と言われて即夢中になれる程、人間の心理構造は単純でない。
無関心を解消するために学友会にはもっと魅せてほしい。長い間に多くの人が携わってきたのだから、誇れることはあるはずだ。そして親切になってほしい。今の学友会には関心を抱けたとしても何も出来ない。制度や総会は形式ばったもので神髄が見えない。だから再び無関心に戻ってしまった人が、過去にどれだけいたことか。これらを正し、会員が「会員」になることでやっと課題に取り組める。
いわゆる「自治の崩壊」については会員にばかり焦点があわせられがちだが、他方を見ることも時に必要だ。勿論現下の会員の態度は批判すべきものであり、元凶は一人一人にある。今迄に多くの人が嘆き、訴えてきたが何も変わらなかった以上、別の手段をとるしかない。道は一つではない。学友会長に某宗教団体代表の半分でもカリスマ性があったなら…と望むのは私のわがままだろうか。最高です、とは言えなくてもかまわない。会員が魅了されれば学友会は機能し、いにしえの様に清陵の名が世に轟くことだろう。
清陵生の意識の低下は全く情けない事だが、今ならまだ間に合う。多くの人が見捨てず、将来を案じているのだから。輝く自治の伝統をここで破滅させるのはあまりに惜しい。世界の海へ続く湖と理想の空に臨むこの道で、前進すべき時は今である。
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