校歌

屋代高等学校 校歌について

 屋代高等学校は、大正12年(1903年)に「長野県埴科中学校」として、長野県東北部の千曲市に設立されました。
 埴科中学校として設立された当初は、田園の中に県下初の鉄筋校舎が1つあるだけの状態でした。学校には校歌も無く、生徒らは寮歌として、当時の国漢科教諭の安間清先生作詞の「東雲開けて」を、安間先生の母校校歌の曲調にのせて歌っていたようです。この曲を校歌にとの声も出ましたが、安間先生が固辞し、屋代高校には校歌が無い時期が続きました。
 その後、第3代鶴田校長の提唱で全校へ校歌の募集が行われました。しかし、良い作品が集まらなかったため、国漢科に全てが委ねられ、佐竹盛富先生が原案を作られました。作成された原案は佐竹先生の恩師・折口信夫先生に校閲して頂き、昭和7年10月に現在の校歌が出来上がりました。作曲者の草川信先生は松代町出身で「どこかで春が」、「夕焼け小焼け」、「揺りかごの歌」、「春の歌」等々の曲を残されております。

屋代高等学校附属中学校 校歌

附属中学校は、屋代高校と同じ校歌を使用しております。

校歌 歌詞

 校歌の歌詞は以下の通りです。なお、詞中に「青垣山」とありますが、これは本校を取り巻く周辺の山々全てを指しており、特定の山ではありません。