学校案内

学校長挨拶

『梓水魂 高き理想 心ゆたかに』
~ 君が選ぶ! 3つのコース と 自由選択科目 ~

学校長

 梓川高等学校ホームページにアクセスしていただきありがとうございます。
 本校は北アルプス槍ヶ岳に源を発する清流梓川右岸の河岸段丘に位置し、四季折々に美しさを醸し出す木々や草花に囲まれた広大な校地を持つ、自然豊かな学習環境にあります。明治43年(1910年)「南安南部農蚕学校」として開校し、その後、「東筑摩西部農学校」を統合し、その後普通科高校として歩みを重ね、昨年創立110周年を迎えました。地域とともに歩み続け、各界で活躍する卒業生を輩出しています。
 普通科9学級(各学年3学級)の生徒たちは、1年次で基礎学力の向上を図り、2年次より自分の興味・関心や進路目標に応じて「3つのコース」~【教養コース】【福祉コミュニケーションコース】【情報ビジネスコース】~のいずれかを選択し、さらに3年次には幅広い「自由選択科目」群から、自分の進路実現に必要となる科目を選択します。また、3年間を通じてクラブ活動や生徒会活動、地域でのボランティア活動に取り組み、生徒たちは皆大きな充実感を抱きながら生活しています。

『梓水魂 高き理想 心ゆたかに』
本校が育てたい生徒像について、本校の原点である校歌に次のように歌われています。
1番 『梓川 わが高校の 友五百 高き理想は 世に布かん』
2番 『梓川 わが高校の 友五百 心ゆたかに 世を生きん』
すなわち、1番では、「槍ヶ岳や穂高岳のような梓川高生のいだく高き理想を、梓川の水がそこから流れていくように世に広めて行こう」と歌っています。
2番では、「梓川の水がこの地を豊かに潤しているように、梓川高生は周囲への思いやりを忘れず心ゆたかに世を生きて行こう」と歌っているのです。
「高き理想」とは、要は「夢」を持とうということです。目標を持つ生徒を育てます。
「心ゆたかに」とは、豊かな人間性を持つことです。周囲への思いやりを忘れない心ゆたかな生徒を育てます。
この2つこそ梓川高校生の持つべき気概『梓水魂』です。
保護者の皆様や同窓会・地域の方々のご協力をいただきながら、良き伝統と校風をさらに発展させ、『梓水魂 高き理想 心ゆたかに』そんな生徒を育てていきます。

 また、本校の生徒会は、自ら学校を良くしていこうと常にいろいろなことに挑戦しています。「KAWAトーク」(生徒会主催地域交流会)もその一例です。生徒会役員と地域住民の方々とPTAや教職員が一堂に会し、お互いの意見を忌憚なく出し合って改善策を模索する。こんな取り組みを通して地域から信頼される学校へと着実に前進しています。
梓川高等学校は今日も朝から生徒たちの「おはようございます」という明るい挨拶と笑顔を原動力に、より高いステージへと進化し続けています。

長野県梓川高等学校長 腰原 英徹

本校にまつわる名物(?)

『樹木』
敷地内には70種260本を超える樹木が生い茂り、その中には日本において希少なものもあります。校門脇と中庭にある「魯桃桜(ろとう桜)」はその代表です。
他には、「メタセコイア」の大木、「オウシュウアカマツ」、また創立90周年を記念し植えられた「梓の木(キササゲ)」がテニスコートの南側・道路沿いに3本あります。「梓の木」は固くしなやかなので、梓弓として、また版木として使われたと言われています。(本を出版することを上梓するというのはこれが語源だそうです。)
他にも、ヒマラヤスギ、イチョウ、桜など、多くの大樹に本校キャンパスは囲まれています。
『梓水農魂』
校門脇に御岳火山の輝石安山岩の大きな自然石に、上條信山先生による書が刻まれています。
これは本校創立70周年の年、昭和55年(1980年)に本校の農業科が閉科された記念に建立されたものです。校長室にはその元となった書が掲げられています。
『柱時計』
校長室の南壁の大きな柱時計。「南安南部農蚕学校第十六回卒業生寄贈」で、大正15年(1926年)3月23日より時を刻み始め、今年で94年になります。
当時たいへん高価な物品だったと思われ、卒業生の母校愛を感じます。故障したこともあったようですが、同窓会の皆さんに修理していただき今も現役です。
ちなみに週1回ゼンマイを巻くのが私の仕事です。
『雲山大澤』
郷原古統先生の画が校長室の西壁一面に大きく掲げられています。
昭和36年(1961年)の卒業生が地元在住の老画家に制作を依頼。その熱意に感じた画家が4年の歳月をかけて、蝶ヶ岳の山頂から梓川渓谷を隔てて穂高連峰を望む壮大な景色を描き、本校創立50周年の昭和39年(1964年)に寄贈された大作(縦1m21cm 横2m45cm)です。
本校の作品はおそらく絶筆と思われます。
『校歌原稿』
作詞者である詩人・作家の佐藤春夫の直筆原稿が校長室に展示されています。手書き楽譜(作曲者 中田喜直)は残念ながら誰が書いたかわかりません。
本校の校歌は、生徒の「校歌を歌いたい」という願いに動かされ、昭和31年(1956年)に制定されたそうです。
それに応える詩人の思いがブルーブラックインクの力強い筆跡に現れています。
『熱誠愛』
東筑摩西部農学校初代校長高安三郎先生の信条としていた校訓の木製の額が校長室にどっしりと置かれています。
これは西農下島修練道場に昭和18年(1943年)から掲げられていたものです。
『下島橋』
「梓川村史」に次のように記載されています。
「梓川高等学校の新校舎建築に伴って、南安曇群下より通学する生徒の通学路として昭和25年(1950年)に架けられた。長さは132m幅員2.6mの木橋であった。この工事費は学校建築費の内から支出された。橋の建設費は当初130万円で計画されたが、工事着工後梓川の増水により工事が中断され、また橋脚が流出するなど災害のため工事が遅れ工事費が増額された。橋は木橋で…(中略)その後もたびたび災害を受け通行止めとなった。その後下島橋架け替え促進期成同盟が発足し関係官庁に陳情を行い、(中略)平成2年(1990年)10月竣工した。橋は旧橋の下流19mの位置に長さ213.7m、幅員9.75mのポストテンションPC単純T桁橋で歩道も設置された。」

注目すべきは、「生徒の通学路として架けられた」という点です。生徒のために橋を架けた。しかも災害で流出するたびに、当時の梓川村と波田村(町)が予算を出し合って補修を繰り返していたことが記されています。県下の高校で橋まで作ってもらった学校はあまり聞きません。今から70年前の地域住民の思いにあらためて頭が下がります。
時は移り、波田も梓川も松本市となりました。『下島橋』の果たす役割も大きく変わったことは確かです。しかし、『下島橋』は今も梓川高校生の通学する姿を見守り続けていてくれます。