長野県須坂園芸高等学校長野県須坂園芸高等学校
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 校長室の大きな絵が、長野県信濃美術館へ貸し出されていきました。         2015年 7月1日(月)

本校の校長室の壁に作られた特製の額に収まって飾られている大きな絵が、この度、2015.9~1211.8に長野県信濃美術館で開催さされる企画展 「没後50年 ”日本のルソー”横井弘三の世界展」に展示されることになりました。この絵にとっては初めて公の場に姿を現すことになります。
 今日(2015.7.1)は、長野県信濃美術館から学芸員ほか、担当の皆さんがお越しになり、この絵が搬出されて行きました。
 昭和23年から1年間、本校の分校「仁礼分校」に美術教師としてお勤めになった横井弘三先生の授業を受けた当時の高校生が、卒業するに当たり、 「自分たちの卒業記念に、ぜひ、横井先生に絵をかいてほしい」とお願いをしてこの大作(縦1.3m横1.6m)が描かれて、現在に至っています。 学校長の小椋先生が講話の中でこの絵の経緯について触れていますので、ご紹介します。

校長室にある大きな絵の話です。作者は横井弘三さんです。
 横井弘三さんは、明治22年長野県の飯田市生まれの東京育ちです。
 小さい頃から絵が好きで、独学で油絵を学び、27歳の時には日本を代表する美術家団体が主催する「二科展」に出展して初受賞しました。「アンリ・ルソー」を愛した素朴派の画家として有名です。生涯、子供だけが感じることができる純粋な目や感性を守り続けたため、「日本のルソー」と称されています。
 本校とのかかわりは、東京で活躍する中、東京の華やかな中央画壇を離れ、終戦の前年(昭和19年)に長野の善光寺の近くに疎開したことに始まります。56歳の時です。長野へ疎開してから2年が過ぎた昭和23年から24年の一年間、横井さんが59歳の時に、本校に4つあった分校の一つ「仁礼分校」の美術教師となりました。
 当時、横井先生の授業を受けた生徒たちは、先生の指導にとても感銘を受けました。自分たちが卒業する時の記念として「是非、横井先生に絵を描いてほしい」とお願いして、 縦1m30cm 横1m60cmのとても大きな絵を描いてもらいました。そして、完成した絵を卒業記念として本校に寄贈しました。その絵が、今も校長室に大切に飾られています。 絵は「当時の須坂市内と、その後ろにそびえる北信五岳」の風景です。現在の須坂高校の屋上から見た風景だそうです。また、この絵の最も特徴的なことは、 風景だけではなく、絵の上部1/3空一面に詩が書かれていることです。
 その詩の内容は、三つの思いが書かれています。
   ① 農学校の生徒から依頼を受けて絵を描く喜び
   ② 絵画を鑑賞する時の精神
   ③ 絵を描く者の態度      が表現されています。
 横井先生はその後も、長野工業高校や北信地域の中学校でも美術を教えました。しかし、生活は大変苦しかったそうです。 横井さんには「生涯どんなに生活が苦しくても、絵を売ることはしない、自分をごまかすことなく、見たもの、感じたものを濁りのない心のままに描き続ける」という強い思いがあったようです。 晩年は、信州新町の山の中で仙人のような生活をしていたそうです。そして、今から49年前、76年の生涯を終えました。


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