一人で悩まないで ~誰かに話してみよう~

学校生活で悩みを抱えているときに、担任とともに教育支援係が窓口となり、心のケアを行います。
必要に応じてカウンセラーや医療機関等と連携し、支援を行います。
問題を抱えたときに自分ひとりで悩まず、誰かに話してみましょう。

保護者の皆様もお子様の生活や言動に変化が見られた時は、見過ごすことなく注意深く対応をお願いします。学校と家庭と外部機関が連携し、問題の解決にあたりましょう。

参考

長野工業高校「支援・連携Map」
LINE相談窓口「ひとりで悩まないで@長野」
24時間子どもSOSダイヤル「学校生活相談センター」
各種相談窓口「ひとりでなやまないで」
長野県発達障がい教育相談窓口

石井光太著 「誰が国語力を殺すのか」より
言葉を失った子供たち ~「ウザい」「キモい」「死ね」の会話~

ある学校の教室での会話、語彙(ごい)力の低い子たちの会話に耳を傾けると…
男子A:「あのゲーム、くそヤバかったっしょ」
男子B:「ああ、エグかった」
男子C:「ってか、おまえ台パン(ゲーム機の台を興奮して叩くこと)しすぎ」
男子A:「あれ、まじヤバかったよね。店員ガン見だから」
男子B:「くそウザ」
男子C:「つーか、おまえがウザ」
男子B:「は?、死ねよ」
男子C:「お前が死ね」

この会話の後、トラブルになった。教員がその行為をとがめると、たいてい次のようなやり取りになる。
教員:「どうしてほかの生徒に暴力をふるったの?」
生徒:「あいつがクソだから」
教員:「クソって?」
生徒:「とにかくクソだからやった」
教員:「ほかに方法はなかった?」
生徒:「知るか、クソ」

ここから見えてくることは言葉によって物事を考え、表現することができない、つまり「言葉を失った生徒」の心の闇です。近年、コミュニケーション能力が問われていますが、その基本は自分の感情や行動を言語化して表現することであり、それが身に付いている子は、自分の言葉で感情や行動を説明できるため、たとえトラブルになっても、反省することができます。ところが今日の中高生の中には、語彙が極めて少なく、日常的に「ウザい」「キモい」「死ね」で会話がすすんでいる子供たちもいます。当然、これらの言葉は受け取る側に誤解を与えることも少なくなく、場合によっては受け手の生死にかかわるような事件に発展することもあります。事件に発展しても、発信者自身は何が問題なのかもわからず、何を反省すべきかもわからないことが生じているのです。
キモい、ウザい、死ねが会話に頻発する時は要注意です。

19万人の不登校 ~不登校の理由がわからない~

不登校の理由がわからない
十分な言葉を持たない子供たちは、状況に応じた的確な行動ができず、他者だけでなく自らも傷つけ、大きなハンディを抱え込むことになります。今日の学校が抱える「不登校」にも言葉を持たないことの影響がみられています。
2020年の文科省統計によれば小中学校の不登校児は合計で約19万人。不登校になった子供の半数近くは「無気力・不安」が原因とされています。つまり明確な原因がないまま、「だるい」「めんどう」という感じで学校を休みがちになり、そのうちだんだんとゲームなど別のことへの関心を膨らまし、学校へ行かなくなるパターンです。そして不登校になったきっかけは答えられても、根本的な原因は自分でもわからないことが多いのです。保護者に理由を聞いても逆に理由を教えてほしいと言われる場合も多々あります。

なぜ不登校の子供たちは、学校へ行けない理由を答えられないのか。
不登校の子供たちが言葉を失っている原因は家庭環境や本人にのしかかる重圧など様々です。彼らは精神的に追い詰められており、このストレスを自分の言葉で表現できないため、解決するためにはどうすればいいのかがわからない。本人はただただ無抵抗に苦しみ続け、ついには臨界点に達して不登校になってしまう。
もし、言葉で自分にかかっているストレスを表現できれば、まわりの支援を受けることも可能であったのに、言葉がないために結果として不登校に追い込まれてしまう。不登校が長引くとコミュニケーションをとることが困難になってしまい、会話がちぐはくになってしまいます。質問をしても全く関係のないことを話したり、知らない人の悪口を言い出したり、押し黙ってしまったり、会話のキャッチボールが成り立たないのです。
親はなんとか通学してほしいと願うわけですが、子供の心は崩れており、簡単には通学できない心理状態といっていいでしょう。

フリースクールの試み
不登校児を受け入れているフリースクールの試みは参考になります。フリースクールは、彼らに言葉を取り戻すために、自由な時間を与えることが大事だといいます。それはかつての日本にあった日常の「遊び」といってもいいでしょう。親や教員からやらされる遊びではなく、あくまで自発的に発生する遊びの中から子供は五感を使って、言葉によって感性や興味を磨いていきます。そこから物事の抽象的な概念をイメージできるようになり、徐々に心の中に「心的辞書(メンタル・レキシコン)」を形成していきます。この心の辞書によって自分の意志や感情を表現することができるようになり、子供たちは自分の道を歩み始めることになります。
親にしてみると早く普通に学校生活を送ってほしいという気持ちになりますが、通学を強いると再び不登校に戻ってしまうことも多々あります。大人の価値観で子供たちを縛るのではなく、子供たちが自分の意志で行動できるよう支援をしていくことが必要です。

以上は石井光太著「誰が国語力を殺すのか」を参考文献としています。