84年前の信濃毎日新聞を発見!

昭和15年2月26日の新聞を発見!
班室の清掃で割れていた鏡をゴミステーションに持ち込んだ際に、鏡の額に記されていた裏書から昭和14年に寄贈されたものであることが判明、鏡の裏から当時の新聞が発見されました。その新聞を校用技師さんが貴重なものと思って捨てずに持ち込んでくれました。
昭和15年(1940年)というと、日本はすでに満州事変、日中戦争と戦時下にありました。翌16年には対米開戦という時期です。紙面からも戦時統制下にある日本の様子がわかります。いくつかの記事を紹介します。なお、横書きの文は右から読みます。漢字は旧字体です。

・記事の第1面は物価統制機構の改組について
昭和12年(1937年)に始まった日中戦争によって政府は物資の統制をはじめました。さらに物価の上昇に伴って物価を強制的に低く抑える政策を遂行することにしました。その時の記事ですね。

・記事の中で目を引いたのが齋藤隆夫の反軍演説の記事
齋藤隆夫は民政党の衆議院議員で、日中戦争が長期化する中、ひたすら聖戦と称して国民生活が疲弊しているにもかかわらず、戦争継続をつづけている政府を批判した人です。当然、軍は憤り、衆議院本会議で齋藤は除名されました。戦前の政治家としては軍部に対峙した政治家として歴史に名を残しました。

・ヨーロッパでは前年の1939年にナチス=ドイツがポーランドに侵攻し、「ヨーロッパ大戦」が始まっていました。記事内の波蘭はポーランドのことです。
なんだか、今日も同じように他国に侵攻している国もあり、歴史は繰り返すのかと思ってしまいますね。

・地域の記事です。更級信里では「われらの村から酒と借金を放逐しろ」と更生の決意。
婚礼の際は戦時下にあるため、伝統ある儀式も全廃して厳粛な挙式のみにとどめることや「おけさ」も「愛国行進曲」の軍国調で行う申し合わせとあります。また葬祭では酒を全廃とあります。
戦争になると兵隊だけでなく「銃後」と称して国民生活も戦争に協力することが求められたことがよくわかります。

前述の通りこの新聞は寄贈された立派な鏡の裏に挟み込まれていたものです。この鏡がどうして班室に置かれていたのかは今となってはわかりませんが、恐らく古くなって不要になったため、放置されていたものを生徒が利用していたのではないでしょうか。それにしても昭和14年とは本校校舎も現バスターミナルにあった時分です。どこからの寄贈か不明ですが、84年前の新聞が発見されて、長工の歴史を感じるひと時でした。