学校紹介

古城の門

第4部 上田高校「日本一格式高い校門」

 現在、校門、築地塀、濠を併せて昭和44年に上田市文化財に指定されている。上田市文化財は現在84点が指定されている。(2013年現在)
プール(写真右)は築地塀に面して設置され周りに柵がない。(築地塀のあるプールは日本唯一の可能性?)生徒は築地塀をみながら水泳にはげむ。この位置は藩邸表大広間で、家臣を集めて藩主が訓示した場所である。御表の藩主居間は現在の学校食堂で、御奥の居間は第1体育館北側であった。明治維新による廃城後、城址は県庁・市役所・大学・高校など公共機関となった例が多い。全国で城址に建てられた高校は全国に数知れないが、現在でも日常使われている創建以来の格式高い門と大樹に囲まれた濠・土塀のある高校は数少ないのではないだろうか。
1994年青森県八戸市「根城」 の本丸主殿が復元された。杭跡など遺構の11年間におよぶ発掘調査により「史跡根城の広場」として整備された。根城復元より上田旧藩邸の江戸時代の姿を想像してみよう。現存していたらこのような建造物があったと仮定する。(ただし上田旧藩邸は瓦葺き)奥、勝手はこのような建造物であったかもしれない。
上左:主殿、勝手通路(第1体育館通路付近)、上右:表広間(現定時制棟・プール)藩主の公的な政治の舞台で正門を入りすぐ左側にあった。下左より:中馬屋(上田温泉ホテル祥園周辺)、番所(国旗掲揚塔付近)、武器の修理など工房(グランド内野付近)、野鍛冶場(テニスコート付近)  ☆写真はすべて根城、( )は上田旧藩邸の現在の位置
国指定重要文化財小諸城三之門が1765年再建である。東京大学赤門は1827年建設された薬医門である。
古城の門は赤門より37年早く、小諸城より25年遅いが同様に趣が深い。
※江戸時代に起源をもつ武家(あるいは城)の門の現存している高校を以下にあげた。
茨城県立水戸第一高等学校、千葉県立大多喜高等学校、長野県上田高等学校、京都府立園部高等学校、愛媛県立西条高等学校、佐賀県立鹿島高等学校、長崎県立五島高等学校
★古城の門のある高校その1★
 愛媛県立西条高等学校
 西条藩陣屋跡(2013年8月撮影)「水の郷、水の都」伊予西条~ 西条市指定史跡
 高校は方形区画の主郭で水堀に囲まれた陣屋跡にたつ。東側の幅40mの広い水堀(噴水あり)には土橋が架かり大手門と腰巻土塁は現在西条高等学校正門として使用されている。平成14年解体修理がおこなわれた。冬季と行事にはライトアップ。
 北御門(移築)現存。東側以外の三方向の堀は幅5m。かつては海水であった。現在は真水で、「うちぬき」と呼ばれる名水が噴き出し、鯉の住む水堀は清流のよう。大手門は「御殿前通り」と呼ばれ、隣接して市役所があり、行政の中心地となっている。
★古城の門のある高校その2★
 佐賀県立鹿島高等学校
 鹿島城址赤門(2013年9月撮影)「朱塗りの赤門」~ 佐賀県指定重要文化財  1807年高台に築城された鹿島城の北には現在でも大手門と折れ曲がった鍵型の道のある武家屋敷そして赤門がある。  鹿島高校(1896年創立佐賀県2番目に古い)は本丸に建ち、朱塗りの赤門(1808年建造)を正門として使用している。佐賀の乱(1874年)で焼失を唯一免れた。高校の北と東に水濠がある。鹿城生「赤門祭」は赤・白・紫の三軍に分かれて優勝を競い合う。
 学校東側の二の丸は旭が丘公園で佐賀県三大桜の名所(1862年植樹)として市民の憩いの場となっている。
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