学校紹介

古城の門

第3部 上田高校の守護神「槐(えんじゅ)三代」

 本校北東の方角の体育館脇には鬼門除けに槐(えんじゅ)の老木(写真左)が旧藩邸を守っている。生徒会誌松籟59号 小林一雄学校長~卒業生に贈る言葉~によると最も太い幹の西側と南側に離れて立っている木は子供の樹で、横に根を這わせ本体から1mほど壕側ある樹は孫に当たる。…長身の丈23m、本体の幹周りは4.5m。マメ科の植物で夏にめだたない白い花(写真右)をつける。親樹の幹の延命治療により樹勢は回復した。エンジュは木へんに漢字で鬼。…守護神としてふさわしい樹勢である。しかし体育館の陰でかつ高校の正面にないため生徒の記念写真にも写り込むことがほとんどない。守護神は目立たない場所でひそかに上田高校を見守っている。これら大樹は明治期の写真にも写っている。樹齢200年を超えているのではないだろうか。
下のこの写真は小県高等小学校時代の校舎(明治21年撮影)「上田高校百年史」 長野県上田高等学校創立百周年 より、「古城の門」と濠、築地塀(写真右)、えんじゅ、けやきの木が健在である。建築物は藩政時代のままである。同窓会館は当時まだ水田である。欅と桜に囲まれた古城の門周辺は「信州上田~歴史の薫る城下町」まちなか散策コースとして知られており、多くの観光客が訪れる。濠周辺はミニ公園化され夜間はライトアップされる。花の季節には多くの家族連れがゆっくりと散策を楽しんでいる。
上田駅お城口から生徒は毎日この門をくぐり通学している。入学式・卒業式は全クラス記念写真が撮影される思い出の場所でもある。夜間と休日は通常門扉を閉めている。(写真右) 門標の「長野縣上田高等学校」は昭和38年秋、当時、新潟大教授石橋犀水先生に揮亳していただいたものである。門標が盗難に遭う前に籠字にしておいたものを80周年の記念事業の中で刻して復活した。この門は薬医門と呼ばれ、中世以降の武家、禅宗寺院に多く用いられた様式である。寛政2(179O)年、松平忠済時代に再建され、築223年を経過している。屋根瓦の部分的改修はあったが、ほぼ建築当時の重厚な面影を残している。高校周辺には「古城の門」と同世代の由緒ある武家屋敷の門(写真左:旧桂邸・写真中:旧三村邸)が点在している。築地塀は現在東側のみ健在である。塀は江戸期には竹でできた矢来(柵)であったが幕末文久年間(1863年)土塀に変更された。昭和12年石垣大改修。
昭和55年まで水辺に葦の茂る自然状態の池であった濠は、昭和55年(写真左)大規模改修工事があった。左写真は工事のようすである。濠を一旦土砂で埋め立て、濠の周囲を現在のような石垣組みとし、給水配管工事と排水枡の埋め込みを施行、桜並木と歩道を合体しミニ公園化された。(鉄柵から竹柵に後に再び改修)濠の深さは1mほどである。濠周辺の欅(写真右)は順調に生長し、数十年間大量の落ち葉を堆積させている。濠の水は江戸期には作事場濠から水路で濠の北東角から流入していたが、現在は敷地内井戸水をポンプでくみ上げ北西角から補給している。そのため水の循環が進まず、特に夏、水質汚濁が進み透明度が著しく低下していた。
平成25年給水パイプのメンテナンス後、給水量を増やす予定であったが、パイプの中に松の幹根が深く入り込んでいたため(写真左)作業は難航した。現在無事除去作業が終了し、濠への水量が増え水質改善が進行した。ここ数年真夏には濃いアオコに覆われたが、猛暑の2013年通常の透明度を保った。
築地塀150周年の2013年、新たな難問がおきた。塀辰巳端土塀(写真右)に亀裂が発見された。南東角の欅Aの大樹の幹根の成長によるものらしい。周囲を固める大樹の成長と文化財保護のバランスが今後の課題であろう。
★上田高校巨木の樹齢を考える。
写真左:欅A(辰巳濠合宿所) 高さ30m 推定樹齢200年 土塀の中にも根がひろがっている。
夜は野鳥のねぐらとなるためプールサイドの汚れが甚大である。
写真中:欅B(辰巳濠東道路) 道路にはみ出した幹根が削られたが成長に影響はない。
写真右:欅C(辰巳濠西中央)
欅D(辰巳濠ポケットパーク2010年に倒壊)
槐E(丑寅濠鬼門)高さ23m、本体幹周りは4.5m
写真左:エンジュ1世。鬼門を守る。延命治療あとが痛々しい。
写真中:エンジュ3世。北濠に沿ってもかつては築地塀があった。北濠(画面左下)に地下水が供給されている。
写真右:エンジュ2世。東濠の築地塀は健在である。

参考:山形県東根の大ケヤキ(日本一) 国特別天然記念物 樹高は28m、根回りは24m、直径5m。樹齢1000年以上1500年以上と推定。
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