駒ヶ岳と翼を組み合わせた図案である。翼は将来への希望と飛躍を現している。図案は当時の在校生から募集し、工業化学科の米山真人君の考案した駒ヶ岳と翼の組み合わせたものが全生徒の投票により決定、それを飯田市の美術家三浦晁古氏に手直しを依頼し、昭和39年12月7日作成された。
昭和39年3月に本校独立後、校歌制定委員会を設け、作詞者等人選していたが、当時の本校職員の縁者にあたる早大名誉教授で国文学者、歌人の窪田空穂氏に作詞を依頼し承諾を得た。作曲は窪田氏の希望もあり、元東京芸大教授の平井康三郎氏にお願いした。校歌発表会は翌40年5月5日であった。
