平成18年度 生活発表大会



            校内生活体験発表大会

 
中信地区の定時制・通信制で学ぶ生徒たちによる中信定通生活体験発表大会が、9月21日(木)にあがたの森文化会館にて開催されました。
 4校6課程の生徒9名(夜間部からは2名の生徒が出場)が、7分間の時間制限の中、学校生活で成長したことや過去の挫折を乗り越えて頑張っている姿などそれぞれの自分の思いを発表してくれました。大勢の聴衆の前で、緊張もしたかと思いますが2人とも精一杯の発表をしてくれ、多くの人の心に感銘を与えました。

●中信大会の様子●
会場の松本市
あがたの森文化会館入口
司会は、本校夜間部3年
加藤さんが担当しました。
夜間部1年 二木 瑠美さん
「私を支えてくれた人」
表彰式 二木さんが
最優秀賞に選ばれました。
発表者全員で記念撮影 トロフィーを手に 応援した夜間部の
生徒・職員
 
     大会の模様が新聞に掲載されました!
信濃毎日新聞(2006年9月23日)  市民タイムス(2006年9月23日)



            校内生活体験発表大会
                         

10月22(日)、松本市あがたの森文化会館にて、定時制通信制生徒生活体験発表大会県大会が開催されました。今年度、県下4地区(北信・東信、南信、中信)の大会を通過した10名の代表者が意見発表しました。また、発表後の審査の間に、松本筑摩高等学校の定時制・通信制に学ぶ生徒達が構成劇「どんぐりと山猫」のアトラクションを行いました

夜間定時制からは、1年の二木瑠美さんが出場し、「私を支えてくれた人」というタイトルで中学卒業後に京都で舞妓の修行をしたこと、アルバイト先での不慮の事故、それを乗り越えての定時制高校への入学、そしてカウンセラーという将来の夢について語ってくれました。両親や家族、リハビリの先生の支えのおかげで現在の自分があり、また将来の目標ができたことなど印象的でした。発表後の表彰では、見事最優秀賞を受賞し、全国大会へコマをすすめることとなりました。

また、本校の昼間定時制の池田由紀さんが「あきらめない」というタイトルで発表をし、優秀賞を受賞しました。構成劇「どんぐりと山猫」は、それぞれ登校時間帯の違う3つの課程の生徒が合同の練習時間がなかなか作れない中、作り上げた劇でありますが3週間の練習の成果が発揮され、すばらしいステージ発表となりました。

●県大会の様子●
生徒作品展示風景(書道、家庭科、陶芸作品等) あがたの森文化会館 二木瑠美さん発表
構成劇「どんぐりと山猫」
語り手 通信制の丸山さん
構成劇「どんぐりと山猫」
山猫役 昼定の川上君
構成劇「どんぐりと山猫」
オールキャスト
表彰式後の記念撮影


      ★全国生活体験発表大会
「読売新聞社賞」を受賞!



   日 時: 平成18年11月19日(日)  

場 所: 国立オリンピック記念青少年総合センター  

   
                       発表原稿は以下の通りです。




「私を支えてくれた人」     二木 瑠美
                    



私が20歳を過ぎて、夜間定時制高校に通うようになったのは、中学卒で社会に出て改めて、学歴の必要性に気が付いたからです。

また入学を決意するまでには、私の人生にとっての重大な危機を乗り越える為というきっかけがありました。

 私は中学卒業後、幼い頃からの夢だった舞妓さんになる為に京都祇園の置屋さんで住み込みの生活をすることにしました。舞妓さんは約20歳まで、20歳を過ぎると芸妓さんになります。その為高校卒業後では遅いと言われ、進学はしませんでした。

舞妓さんになるには仕込みさんと呼ばれる見習いから始めます。仕込みさんは、置屋さんの掃除から始まって食事作りは勿論の事、着物の整理や、先輩のお姉さんの雑用全てをします。花街ではお姉さんの言う事、やる事は絶対で反論は出来ません。全てに対してイエスの答えしかない、言えない世界でした。テレビなどで見る華やかな世界では無いと入ってみて実感したのです。今思えばほんの些細な事だったと思うのですが「もう 嫌だ もう舞妓になんかならなくても良い。」と置屋さんを飛び出し名古屋まで帰って来た事が有ました。家に連絡すると母は「嫌なら帰っておいで」と言いました。でも父は「人は節目 節目で仕事が嫌になるんだから。一年持てば三年持つ。三年持てば五年持つ。」と言いました。そして、私は京都に戻ったのです。舞いは人間国宝の「井上八千代」さんお師匠さんが直接指導して下さいましたが、妥協を許さない為涙が出るほど厳しい指導でした。   

辛い時でも、一人になれる所と言ったらトイレかお風呂しか有りません。そんな時はいつも湯船に浸かって声を殺して泣いていました。16人居た同期の人達は、1年後舞妓としてデビューした時は6人になっていました。

 舞妓としてお座敷に出ると、お客さんが何を頼みたいのか、お姉さんは何をしている?と人の先を読む、心を読む事が要求されるのです。学ぶ事も多く 友達も沢山でき、それなりに充実した舞妓としての4年間を過ごしました。しかし、芸妓さんにはならずに、20歳で京都を後にしました。当時の私は、人生に必要なのは、学歴よりも経験だと確信するようになっていました。ですから、その頃母に定時制に通う事を勧められましたが、その気は全く起こりませんでした。むしろ、今度は新しい夢を見つけて、好きなバイトをして世の中を楽しみたい、そう思っていたのです。今思えばその頃の私には人生の目標が無くなり、甘い見通しだけが有ったのです。

 そして今から三年前、私はアルバイト先の仕事場で右手を切断する事故にあったのです。

運び込まれた病院で、痛さと不安で毎日ふさぎ込んでいました。あの日々は今でも私にとって人生最大の危機であり試練でした。傷もある程度治り始め、リハビリが始まりました。文字を書く、折り紙を折る、紐を結ぶ、両手では簡単でも左手一本では大変な作業でした。リハビリの先生は「瑠美さんの気持ちになれる様に、先生も左手だけで生活するね」と励ましてくれました。先生は言葉を通じて心の傷も癒してくれたのです。

その頃から私は、心を支えてあげられるカウンセラーになりたいと思うようになりなした。その為にはまず高校卒業の資格が必要です。

障害を持ち、学歴もない、そんな私が働く場所は有りません。

遠回りをしましたが、今年筑摩高校の定時制に入学する事ができた時、月並みな言葉ですが、未来がちょっと顔を出したようでとても嬉しかったのです。

 私は今年24歳になりました。色々な年齢が集まる定時制に入学でき、のびのびと学校生活を送っています。保健委員長にも立候補し、保健の先生と一緒に楽しい保健便りを制作しました。今はパソコンが有るので、文字もイラストも片手でばっちり入れる事が出来ます。「自分から手を上げて、やりますと言えるのはいろんな経験をしたからだよね」と母に良く言う事。 やっぱり経験は大切です。でも、高校で友達を作る事も卒業の資格を貰う事も同じように大切なものだと今は思うようになりなした。

 校内で私は成人しているからか、年下の同級生はよく相談を持って来ます。相談してくれる、頼りにされていると思うと嬉しい限りです。多分私が目指しているカウンセラーの第一歩なのかもしれません。「よ〜し!お姉ちゃん頑張っちゃうからね!」

 同級生は私の一番下の弟と同じ年が多いのですが、授業中は喧しいやら腕白やらで、注意のし甲斐が有ります。何度も「静かにして!」を連呼した私です。でも 夏休みも明けると 結構落ち着いてきたのか とても良い子になり 「よしよし 」と内心ほくそえんでいます。

 学生の 年齢層に巾があるからか先生方も柔軟な考え方をしてくれていると思います。一方的に投げつける様な意見を言う先生はあまりおらず、親身になって物事を聞いて下さるので安心して登校できます。良い先生に巡り合えてとてもラッキーな学校生活のスタートです。

これから私が出会う人、私を支えてくれる人、そして私が支えてあげる事が出来る人 全てを大切にしてこれからの学校生活を楽しんで 人生を楽しんで行きたいと思います。