グラビア第2号 平成16年8月20日発行
長野県須坂高等学校龍胆会
発行人:桜井 佐七
編集人:滝澤 一男
<特集>
 第50回りんどう祭
 創立80周年記念式典
 定時制56年の歩み
 「龍胆学舎」事業
事務局

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第50回りんどう祭記念特集

今年も、7月の晴天下に「龍」が建立された
                 脈々と受け継がれる「龍」製作
りんどう祭と龍の歴史


 昭和29年(1954年)第1回りんどう祭開催、前年度までの「文化祭」の名称を「りんどう祭」と改称。山岳部の展示、水泳部の泳ぎ方の図解展示を始めて行う。昭和30年(1955年)第2回、10月開催。開催期間2日間。生物部では黒岩喜久雄先生自慢のバラの展示、放送委員会のテレビ放送の開放、カムカムクラブの英語劇「レ・ミゼラブル」、西校喫茶に人気集中。昭和31年(1956年)第3回、9月開催2日間。映画祭はこの年より始まる。「文なし横丁の人々」。放送委員会のレコードコンサートが行われた。昭和34年、台風7号による被害のため第6回は中止となり、クラブ発表のみが行われた。昭和35年(1960年)第6回、ブラスバンドが結成され初演奏する。ファイヤーストームに女子が初参加し好評であった。昭和36年(1961年)第7回、9月開催3日間となる。昭和37年(1962年)第8回、北信初の7月開催となる。そのため来校者が増えた。昭和38年(1963年)第9回、ファイヤーストームにフォークダンスが導入される。しかし、その際、美術部、時事研の神輿に重油をかけるなど大混乱が生じた。昭和40年(1965年)第11回、名称を「りんどう祭」の平仮名に統一。りんどう祭賛歌作成。初めてアーチに杉の葉を使う。この頃は、映画祭、音楽祭、演劇祭が好評であった。昭和41年(1966年)第12回、先輩より「臥龍魂」の幟が贈られた。昭和45年(1970年)第16回、この頃は学生運動が盛んで、安保、沖縄問題、討論会などの企画がみられた。昭和48年(1973年)第19回、この年だけ7月4日間開催となる。昭和49年(1974年)第20回、前年まで本館屋上に置かれていた「龍」が、中庭に作られたが、目立たず評判も今ひとつであった。昭和50年(1975年)第21回、この頃の仮装寸劇は、一般的にかなり風俗が乱れており批判的な声も多かった。また、この年より「龍」がグランドに作られるようになった。昭和54年(1979年)第25回、「ギャング」の愛称で親しまれてきた高木正弘先生が亡くなられ、その遺作となった「龍」が後夜祭のファイヤーストームで、先生の魂をのせて昇天するかのごとく竜巻を伴って燃え尽きた。以後、「龍」はりんどう祭のシンボルとして完成度を高めていく。第50回となった今年の「龍」も、建立中に一部破損するという事故が生じたが2日目に無事建立。現在、本校生徒会による「りんどう祭の龍」は県内外に知られるようになった。


「りんどう祭の龍と思い出」         
                                                     市川 正夫(高25)


第50回りんどう祭の龍('04.7)
 長野県下さらに全国的にも知られているりんどう祭は、私にとって思い出深いものでした。まず、最初は小学生の時、父が須坂高校に勤務していたため訪れたことです。何か模造紙に文字が隅から隅まで難しい漢字で書かれ、高校生になると何と高度なことを学ぶということに驚かされました。
 高校時代は山岳部に所属していたため、龍については全くタッチしておりませんでした。ただ、龍の製作に関係している生徒の努力には、感心させられていました。山岳部と龍との関わりは最終日にあります。当時、龍は旧校舎の屋上で作られ、最後に校庭に運びました。その屋上から降ろす指導を、山岳部が中心に行っていました。
三年時、その龍を降ろす際に、みんなで持っていたザイルが、その重さに耐えられず何人かが手を離してしまい、 地上に落下してしまった。その時の実行委員の落胆と激怒は今でも忘れません。
 現在、龍はグランドで作られているようですが、かつて屋上の龍の威容は、遠く長野市街地からも見えたそうです。



2003年10月18日創立80周年記念式典挙行


 昨年10月18日(土)須坂メセナホールにおいて、創立80周年記念式典が盛大に挙行された。当日は晴天に恵まれ、在校生、同窓生、PTA、来賓、学校教職員、1,000余名が出席。桜井佐七80周年記念事業実行委員会会長は、「来年から通学区制が変更されるなど長野県も高校改革の時代を迎えた。学校や同窓会が力をあわせて地域の期待に応えていきたい」と挨拶。塩野統美校長(現・野沢北高校長)は80周年の歴史を振り返り、将来の展望を述べた。生徒代表の湯本達也君は「臥龍魂」「熱・意気・ガリ」の精神は時代の変遷に関わらず脈々と須高生に受け継がれている、須高生としての自覚を持って自己のあり方を発見していきたいと述べる。  
 式典後、信州大学教授遠藤守信先生(高17)が、「Creative Spirits」と題し、ナノテクノロジー、「遠藤ファイバー」について記念講演され、その中で、「自己の人生を開き、社会のために貢献すること、決してあきらめないこと」がCreative Spiritsであり、在校生にNever,never,never,never,and never give up!と強い意志を持ってチャレンジするよう強調された。(後日、遠藤先生より、母校にご寄附の申し出を頂きました。心より感謝申し上げます。)同日午後、須坂迎賓館で「鬼島太鼓」の勇壮な響きとともに祝賀会が始まり、同窓生を中心に約200名の参会者は放歌高吟し、心ゆくまで80周年を祝った。
 尚、当日、後藤淳氏(旧18)より美しい小原工芸紙作品「富嶽」山内一生氏作1点が母校に寄贈された。(現在本館校長室隣に展示中)また、11月21日(金)雨中にも拘らず、中島輝夫氏をはじめ旧21・高1回生の有志による山桜、ソメイヨシノの記念植樹がおこなわれた。心より感謝申し上げます。
さらに、実行委員会では、創立80周年を記念し、「校歌額」(120cm×270cm、檜、山ア健生先生揮毫)を製作、寄贈し、翌4月6日(火)入学式の折に除幕式をおこなった。
 最後に、この度の記念事業におきましては、実行委員、学校職員、PTA各位ならびに同窓会本会役員、幹事、各支部役員各位のご協力を頂き、また、新聞広告制作、テレビ特別番組制作に多くの会員各位より賛助頂いたことに心より感謝申し上げます。皆様の益々のご健勝を祈念申し上げ、報告とお礼に代えさせて頂きます。

                                            前事務局長 田口 隆信(高22)
                                                    滝澤 一男(高22)




創立80周年記念「校歌額」披露 '04.3.3(上)



 創立80周年記念植樹(旧21・高1回生の有志)'03.11.21(右)



教育環境の整備こそ                     龍胆会会長 桜井 佐七(旧18)


 残暑の折から、益々ご活躍のことと拝察申し上げます。
 昨年の創立80周年の記念式典は、お蔭様をもちまして無事盛大に挙行することが出来ました。ご支援に心からお礼申し上げます。
 本年から学区制が変わり、学校にとって激動の時代を迎えました。これまでの殻から脱して、如何に特色のある、魅力ある学校に育てて行くかが一番の課題ですが、同窓会もまた、校歌や応援歌を熱唱し、旧交を温めるだけの会ではなく、卒業生が誇りを持って入ってくれるような、意義のある会に脱皮していかねばなりません。
 その活動の一環として、80周年記念事業の一つである「龍胆学舎」をスタートさせました。校内幹事の先生方によって構想された在校生の課外補習授業は、幸い塾頭に元本校学校長の小林 武先生(高6)を迎えて着々と成果を上げつつあります。又一般教養として、第一線で活躍する本校OBを招いての講演会も年1回位計画したいと考えています。
 日本は、今「戦争の出来る国」から「戦争をする国」へと急カーブを切りつつあり、そのための「憲法改正」論議が盛  んですが、同時進行している「教育基本法改正」については殆どの人が無関心です。近年多発している青少年の非行や犯罪を、昔の「教育勅語」のように、心の教育によって防止しようというものですが、若年者の凶悪犯罪は今の大人社会の乱れに原因した「社会病理」とも言えるもので、これを学校や家庭の責任とする「教育病理」論には無理があります。
 戦場に於ける最前線の兵士のように、教育現場で働く先生方に対する食糧や弾薬の補給、即ち教育条件の整備や教育支出こそ必要なのではないでしょうか。同窓会の果たす役割も又ここに在ります。
 母校の一層の充実を願って止みません。



創立81年目にあたって                            学校長 河面  清


昨年は創立80周年にあたり物心両面にわたるご援助をいただき有り難うございました。引き続き本校教育にご理解とご支援をよろしくお願いします。
さて、本校は創立80周年の節目を終えて新たな一歩を踏み出しましたが、時を同じくして定時制が募集停止となりました。最盛期には百名以上もの卒業生を送り出した歴史ある定時制がなくなることは、時代の趨勢とはいえ寂しいものです。今後は在校生への教育に全力であたると同時に、閉校にむけた準備作業を進めたいと考えています。
次に、本校を取り巻く教育環境ですが、本県では本年度からこれまでの12通学区制から4通学区制に変わりました。これにより中学生の高校選択幅が大きく拡大し、「学校が生徒を選ぶ時代」から「生徒が学校を選ぶ時代」へと変わりつつあります。
こうした変革のなかで本校をいかに存在感のある学校にするか。現在、本校では自主独立、自由な校風や伝統を大切にしながら、「伸びる学校」、「伸ばす学校」を合い言葉に教職員が一丸となって取り組んでいます。この場合の伸びる、伸ばすとは、本校在学中の3年間に授業、部活、生徒会活動等を通じて、知、徳、体のバランスのとれた発達を指すものですが、現在のグローバル化、高度情報化した社会で生きていくためには、とりわけ自らが考え、判断し、行動することが不可欠となっています。しかし、あえて教える量を減らしてでもそうした力をつけようとしたことが学力低下を招き、学力重視へ軌道修正している最中、そのしわ寄せをうけた高校は、いま充分な量の知識の定着と考える力の育成の両立という難題を抱えています。
そんな折、本年より龍胆学舎事業を立ち上げていただき、土曜日の活用を中心とした私どもの活動を積極的に支援していただくことになりました。心より感謝申し上げるとともに、今後ともお力添えよろしくお願いいたします。



「定時制56年の歩み」特集


平成15年度定時制卒業式 '04.3.6
 昨年度、本校の定時制課程は大きな歴史の節目を迎えました。平成16年度以降の生徒募集停止を決めたのです。昭和23年の学制改革に合わせて本校の定時制課程が設置されて以来、56年の歳月を重ねてまいりましたが、この間、多くの有為な人材を世に送り出し、地域社会に貢献してきました。今回、この思い出多き56年間を同窓生、恩師に寄稿頂きながら、本校定時制課程の足跡を振り返ってみたいと思います。











<沿 革>
S23 学制改革 長野県須坂西高等学校に全日制・定時制両課程設置「働きながら学ぶ青少年の修学修養の場」として、「総ての国民はその能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する」を旨に、第6代校長 伊藤 郷平先生、清水 弥平先生を中心に尽力された。
新入生150名、旧制中学からの編入生70名の5クラスで発足
S23.5 開校式 入学式挙行
S23.10 生徒会誕生 初代会長、井上 仁(旧制中学卒)
S27.3 「りんどう」誌創刊
S31.4 小布施分校が本校定時制分校となる
S33 開設10周年 本校生徒数323名、分校68名
S34.4 小布施分校が都住中学校に移転
S38 本校生徒数318名、以後生徒数が減少する
S41.1 長野県須坂高等学校に改称
S44 定時制独立校設置運動が盛り上がるが結実しなかった
S46 第3回定時制通信制北信体育大会 総合優勝 同大会柔道部門出場の太田 優君が試合中に負傷し頸椎損傷となるが各方面からの支援を頂く
S49 1学級募集となる
S51.3 小布施分校閉校
H15 開設55周年(本校創立80周年)
H16.4 定時制生徒募集停止


生徒から貰った宝物

                                     西澤 幸子(高6、旧職員、昭55〜平8.3在職)


平成5年度定時制卒業生
 定時制に勤務をして最初に感じたことは、生徒の人柄というか人なつこさということです。言葉や服装など一見粗雑乱暴に見える人達が、本当は心優しい思いやりと温かみを沢山持った人達でした。
 職員室は一寸敷居の高いものですが、休憩時間に親しげに入ってきて、友人にしゃべるように教師に話しかける人、友の悩み事を自分の事のように、心痛めて教師に相談に来る人などが多くいました。
 そのような人達と「ボンボン」を売ったり、カブト虫を売ったりして、一緒に楽しんだ「りんどう祭」。殊に、毎年食堂で頑張った事が懐かしく思い出されます。勤務先のスーパーで食品を扱っている人、ラーメン店で毎日ラーメンを作っている人などが大活躍してくれました。暑い中、一生懸命に麺をゆでる人、ネギを上手に刻む人などと、教師も一緒に一日中働いて充実感を味わい、その中で接した生徒達の人柄が忘れられない大切な思い出の一つです。
 4年間の学校生活の中には、いろいろな事情から途中で辞めていく人も多く、無事卒業できた時の生徒の感激は格別なものがあり、教師も生徒と同じく感慨に耽ったものです。
定年退職をした私に、思いがけなく卒業生から花が送られてきたり、温泉への一泊招待があったりと、思いやりのある暖かな心を持った人達と共に学ぶことができた定時制勤務は、感動と感謝でした。




支部近況

雑 感
龍胆会副会長・中野支部長 池田 利政(高4)

須坂高等学校も、昨年創立80周年を迎え、盛大に記念式典が開催されたことは誠に御同慶に耐えません。また、龍胆学舎の設立等、関係各位の御努力に敬意を申し上げると同時に、本校が将来にわたり益々発展することを切望いたします。
昭和21年に入学した私共は学制改革により、須坂中学、須坂西高等学校と6年間学んだわけですが、全面改築された新校舎や充実した環境施設整備をみるとき感無量のものがあります。
若者育成の場である高校。熱、意気、ガリ、の臥龍魂。今も脈々と波打っているのを覚えます。母校は故郷。大事にしたい。






第1回東海支部総会の報告
酒井 春雄(東海支部副会長、高7)

母校創立80周年を機に、東海4県在住を会員とする東海支部が、この度正式に発足しとことを先ずは報告致します。
平成16年3月27日、尾張徳川家由来の徳川美術館を会場に、33名の出席者を得て第1回の支部総会が開催され、会則と後藤 淳会長(旧18)以下の役員を定めました。開会に先立ち、参加者は季節感一杯の「雛御膳」の昼食会で旧交を温め、同館の山本泰一副館長(高18)の懇切な展示品解説に耳を傾け、閉会後にゆっくりと館内見学をしました。お陰で、家族同伴の和やかな雰囲気の中、文化と歴史の香り豊かな総会となりました。
また、本部からわざわざ出席下さった桜井会長と滝澤先生のご挨拶と近況報告では、一同、母校の発展の様子に頷きつつ、懐かしい故郷に想いを馳せました。
今後、支部として母校の発展にどう寄与するかを考えて参りますので、本部を始め関係各位のご協力を切にお願い申し上げます。



第1回東海支部総会



東海支部役員



同窓生近況

母校への桜植樹を記念して 旧21・高1回生同期会
中島 輝夫(前会長、旧21・高1)

私達は創立80周年記念事業として、在学中、戦争で切り倒した校門前の桜並木の復活を計画しました。学校の要望で、昇降口付近にソメイヨシノ桜を5本と、真赤に咲くミヤマ桜を10本校庭付近に植えました。それを記念して、同期会を2月14日須坂温泉1泊で、地元をはじめ遠く北海道からも集まり、23名の参加(他に桜協力者10名)を得て盛大に開催しました。当夜はミヤマ桜を育成した元試験場長、伊藤喜隆氏に感謝状を差し上げ、翌日は母校を訪問し、大変に楽しい有意義な同期会となりました。



記念植樹'03.11.21




「高八回生同期会」
矢島 健司(高8)

昨年11月、メルパルク長野で同期会を開催。東京から当時生徒会長の堀内克珠氏、幹事の玉井昌夫氏他14名が参加。地元は県議会の大御所石田治一郎氏、鞄店経営の塚田信吾氏、山田牧場スキー場元常務の横田信雄氏他20名の参加。会場では、自己紹介の後、48年前の高校生に戻り、時を忘れて当時の話題に熱中した。翌日は、数名で信濃ゴルフに行きプレイを楽しんだ。
私は、今年町の公民館長に就任。人集め等苦渋の毎日です。



メルパルク長野にて'03.11.16



還暦を迎えた「三六竜胆会」
北原 高子(高13)

昨年11月、私たち13回生は、軽井沢の塩壺温泉に集まり、還暦を祝いあいました。同期生240名ほどのうち、恩師市川先生を含め92名が集まり、高校時代の気分に戻って、はしゃぎ、歌い、語って楽しいひと時を過ごしました。
前回志賀高原に集まって以来14年ぶりです。「今度会うのは、また10年後かな」などと言い合っていましたが、元気でその日を迎えられたらうれしいと思います。



軽井沢 塩壺温泉にて'03.11.1



臥竜十(てん)の会
上原 衛(高10)

昨年10月31日〜11月1日、大町市大町温泉にて臥竜十(てん)の会を開催。急なことと場所の関係もあり、参加者24名と少なかったが、遠くは兵庫県等各地より参集、旧交をあたためた。
翌日は東京電力高瀬川発電所を見学、紅葉を満喫した。
次回は東京幹事により、東京で開催予定。また東京地区では、本年7月26日~28日、尾瀬ヶ原燧ケ岳〜桧枝温泉〜会津駒ケ岳のコースで縦走。参加者16名。夜は思い出話に花が咲いたとの連絡あり。



『野原の奥、科学の先。遠藤守信
     のクリエイティブ・スピリッツ』発刊


                                     「文屋文庫」編集・発行人 木下 豊(高29)

 このたび、須坂高校OB・信州大学工学部教授、遠藤守信先生の本を発刊させていただく幸運に恵まれました。
この本は、遠藤先生が、昨年10月、母校の創立80周年で語られた記念講演「クリエイティブ・スピリッツ」(創造的精神)の記録をもとに、先生への30時間あまりのインタビューを盛りこんだ、最新の充実した内容です。
30年前の冬、留学先のフランスの研究室で1人、電子顕微鏡に向っていた遠藤先生の目がとらえた物体「カーボンナノチューブ」は、今や21世紀を拓く基盤技術・ナノテクノロジーの礎となり、世界的な技術革新をもたらしています。ご自身も、産業界との連携による実用化、産業化に向けて、挑戦者≠フ道を歩んでおられます。
遠藤先生はまた、科学の伝道者≠フお一人でもあります。「未来を担う若者たちへの応援歌、そして地域の元気づけに!」。湧きいでる熱い泉のような、遠藤先生の思いを、あますところなく書きとめて編集したのが本書です。
『野原の奥、科学の先。』この書名には、少年時代に仲間と遊びまわった臥竜山での体験が、世界の最先端を拓く科学者としての原点になっている、という意味が込められています。
 本書を発刊するにあたり、母校と同窓会には多大なご支援をいただきました。
 なお、本書の売上による収益金は、遠藤先生のご厚意を生かすかたちで、地域の科学教育の振興のために役立てられます。同窓会員のみなさまのご購読を、心よりお願い申しあげます。



      
少年時代の遊び場、臥竜山にて
      
160ページ、840円(税込)
 
 

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