第66回NHK 杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門 全国大会優勝
第43回全国高校総合文化祭(2019さが総文)ビデオメッセージ部門 優秀賞(部門最高賞)

 決勝に進出した。いや、進出してしまった。この瞬間私の心に浮かんだのは「やばい、前髪巻きたい」の一言でした。

 前日の夜、長野県の他校の友達と「放送を語る会」を開催し午前4時まで語っていました。もちろん決勝の朝は寝坊しました。天然パーマの髪を2分で巻いて間に合ったものの、東京の暑さで流れる滝のような汗が私の前髪を元に戻してしまいました。正直作品の結果よりも前髪の方が気になっていたのです。

 しかし、まさかの決勝進出。嬉しさよりも戸惑いが、戸惑いよりも前髪が、私の重要課題でした。決勝進出ということは必ずステージの上に立たなければなりません。一世一代の晴れ舞台なのに「どうしてこんな前髪なの」泣きたい気分でした。

 けれど私は諦めませんでした。奇跡的に私のバッグにはアイロンが入っていました。会場の電源を探しまくり、ついに女子トイレのコンセントを発見!ことなきを得たのです。

 

 ここからは真面目な話をします。私の2年間はHR漬けでした。なぜなら「最後のLHR(ロングホームルーム)」の完成までに、このHRという題材に2年間こだわったからです。

 ご存知の方もいると思いますが、昨年のNコンも「HR」というタイトルで作品を出品しました。「HR」「最後のLHR」どちらも「42年前(1976年)に本校を卒業した38組が、卒業後もずっと母校の教室に集まって続けているLHR」を素材にしています。学校史や生徒手帳を漁りまくり、HRの歴史を調べていく中で、「同級会ではなくLHRにこだわり、母校の教室で担任の話を聞き級友と語り合う。この貴重な事例における「対話」の重要性は、現在求められている主権者教育に必用な視点だ。」と考えるようになりました。このメッセージは両方の作品に込めました。しかし二つの作品の伝わり方は違っていました。

 「HR」(2018)では「今のHRを見直すべきだ」をメッセージとし、還暦を過ぎた38組の生徒が、当事のHRを思い出し楽しそうに語る姿と、今の高校生のやる気のないHRの姿を対比しました。しかし「『対話』という言葉を出さなくても分かるように」と酷評されました。結局「HR」は昨年のNコンで準決勝敗退。私は不完全燃焼のまま東京を後にしました。

 この作品から半年、私は38組の卒業後LHRの収録に参加しました。「年だから今回を最後に」と語る85才の担任の懸命な姿。それをまっすぐ聞く還暦を過ぎたメンバー。泣きたくなるほど暖かい空間でした。このLHR自体を肌で感じないと本質は伝わらないと思い、私は「HR」を作り直す決心をしました。

 「最後のLHR」(2019)では「今のHRを見つめ直してほしい」をメッセージとし、現場音とインタビューを活かした「臨場感」にこだわりました。現在の高校生の姿はばっさり切りました。またナレーションを少なくし「対話」という言葉も消しました。講評では、「HR」だけでなく「生き方」にも触れられていました。

  正直、現役高校生と「対話」という二つの要素を大胆に削ることに自信はありませんでした。準決勝会場のスクリーンで作品を見たときは「削りすぎた」と悔やみました。その日のご飯は涙の味がしました。(だから語る会を開催したのです笑)メンバーもこの作品に期待しておらず、顧問は結果発表の撮影すらしませんでした。だから決勝進出校のスライドは信じられないものでした。しかし、ステージ袖で他の決勝進出校の皆さんと話していると、作品に全力を込めたそのこだわりがひしひしと伝わってきました。NHKホールのステージでギリギリの表現をせめぎ合うという、決勝ならではの空気を体感できたのは本当に幸せでした。その後、優勝校で名前が呼ばれ登壇した時も全く実感がわきませんでしたが、翌日38組の皆さんから感謝のメールが届いてやっと優勝の重みが分かりました。また長野県を始めとした他校の放送部の皆さんの温かい言葉でとても嬉しくなりました。

 今でも、私の作品のどこがどう伝わり優勝に結びついたのかはわかりません。受け取り方は人によると思うので。それでも改めて人に伝える放送活動の楽しさと難しさを実感しました。3年8組の皆さんを始めとし、取材に協力してくださった皆さん、HRの記録を残してくれた歴代の先輩、関係する全ての方に恩返しができたなら幸いです。本当にありがとうございました。

 皆さん、前髪は朝しっかり巻きましょう。


 


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第66回NHK杯全国高校放送コンテストテレビドキュメント部門 優勝 「最後のLHR

第43回全国高等学校総合文化祭放送部門ビデオメッセージ部門 優秀賞 「二代目はつらいよ