平成26年度 とんぼ祭一般公開ゼミ

図書委員会ではとんぼ祭中に一般公開ゼミを開催しています。
今年は7月20日(一般公開2日目)に、アートディレクター・イラストレーターとして活躍中の寄藤文平先生をお招きして、『僕の高校時代』というタイトルで講演をしていただきました。



60人の方に参加していただき、とても和やかな雰囲気でゼミを行うことができました。



寄藤先生のユーモア溢れるお話や、イラストの実演など、目でも耳でも惹きつけられる内容でした。
そんな講演の内容を寄藤先生が描いてきてくださった紙芝居風のイラストとともに報告します!




「文ちゃんは京大へ行くだ」

先生の父親は深志高校−京都大学卒業で信州大学の教授でした。
その子供である寄藤先生も小さい頃から将来を期待されており、浅間にある祖父の家に行くたびに祖父から「文ちゃんは京大へ行くだ」と言われていたそうです。



幼いながらに「キョウダイってなんだろう?そんなにすごい所なのだろうか?」といった疑問を抱きつつも、そういうものなのだと考え期待に応えようとしていたそうです。
周囲からも頭の良い子として見られ、現に中学校までは普通に勉強していれば良い点が取れたとのことでした。



高校生活

中学を卒業し、家族の期待に応え、伊那北高校に入学。
しかし、中学までのようにはいかず勉強は1年生で諦めの境地に。



授業中は現国では「メカ・銃」、英語では「人物」、日本史・世界史では「動物」、化学・地学では「武具」、数学では「睡眠」という具合に教科ごとジャンルを決めて絵を描く練習をしていたそうです。



当時は我ながら描けないものはなかったと語る寄藤先生。
授業時間を使った練習の成果は文化祭のポスター候補に詰め込まれました。
1年生の時には自分の趣味を押し出したポスターで惜しくも2位に。
2年生のときには「貼りたくなるようなポスター」「選ばれるデザイン」を意識して北斎風のまるで印刷されたかのようなポスターを描き、1位に選ばれ文化祭のポスターになりました。
ポスターを作るために全国模試を休み、授業中に絵を描いていて分からないところがあると休み時間に図書館へ行って細部を調べ、再び練習という日々を送っていたそうですが、この時はまだ美術の世界と自分の進路とを結びつけることができなかったそうです。



美術予備校と文平の法則発見

高校2年生の時に学校の外の電話ボックスで松本の美術予備校に電話を掛けたのが運命の分かれ道だったと語った寄藤先生。
それからは地元箕輪と松本にある美術予備校とを往復する日々を送りました。


高校時代はこの美術予備校を中心とした生活を送っており、高校自体には特別な思い入れや思い出はほとんどないとのことです。



高校に通いながら美術予備校に通うなかでいくつもの文平の法則や美術のテクニックなど、現在の寄藤先生につながるたくさんの大切なものを手に入れたといいます。
この頃から自分の生きている世界とは違うところもあるのだと美術の世界で生きていくことを決意し、美大への道を考え始めたそうです。
家族の期待に反して美術の世界を目指す決意を固めると、どこかプレッシャーのほどけた感じがしたそうです。



〜文平の法則〜
 1.勉強すると上手くなれる
 2.最初は上手い人の真似をする
 3.上達するのは突然
 4.良く寝ることが大事
 5.本気の人間に友達はいない



〜質問〜
Q.今後の夢や目標は?
A.夢はアカデミー賞をとって赤絨毯の上を歩くこと。
  不可能ではないと思う。
  夢は大きく目標はぼんやりとさせるようにしている。
  目標は働く時間を短くすること。
  効率的に作ったものは効率的にしかなりえない。


Q.著書には黄色がよく使われていますが黄色が好きなのですか?
A.黄色は現実的な色だから。
  鮮やかで明るくて線が消えないし、表情がたくさんある。
  個人的に好きな色は赤。

Q.大学に入ってからの家族の反応は?
A.美大の中の一番である藝大ではなかったので残念がられた。
  藝大のデザイン科の質はあまりよくないと自分は思っていたので武蔵野美大にしたが、家族はそういった事情をあまり分かっていなかった。

Q.大学に入ると考え方は変わるものですか?
A.大学には「入らなきゃ」と思って入った。
  期待が膨らみ過ぎて幻滅した部分もある。
  美大でも本気で美術をやろうという人間はほんの数%だった。
  大学に入ってよかったのはその数%の人間に出会えたこと。
  大学がなにかしてくれるわけではない。

Q.スランプ期にはどんなことを考えましたか?
A.テクニックが感覚を追い越してしまったときにスランプに陥った。
対策の打ちようがない・なにもできない中で「電気の通り道は分からないがどこかで必ずつながっていて、いつどこが通電するか分からない」と考え、ひたすら描き続けた。

Q.なにかこだわりの画材等はありますか?
A.ペン先が細く詰まらないパイロットシャープを愛用している。

Q.高校は絵が中心と仰っていましたがデザインはいつからはじめたのですか?
A.高校時代に通っていた美術予備校の先生がグラフィックデザイナーだった。
  油絵や日本画は描きたくなかったのでデザインをやろうと思った。
  また、大学のデザイン科が一番倍率が高かったのでそこに合格すれば家族も納得すると思った。

Q.絵を描くのが得意だったから絵を好きになったのですか?好きなことと職業が結びついていく瞬間はどのようなものでしたか?
A.ざっくりと言うと両方。
  自分の世界の絵が好きだった。
  大学を選ぶということは社会人化するというようなこと。
  個人的な「絵がうまい」と社会的な「絵がうまい」と別物なのだということを感じ、「自分は絵で生きていくのだ」という感覚が芽生えたのは高校2年生の時。
  だから自分は高校2年生の時に社会人になったと思う。

〜感想〜
 ・ユーモア溢れるとても面白い講演会だった
 ・とても興味深いお話でした。
 ・すごく参考になりました!
 ・見たことのあるイラストについてのお話を聞かせていただいてとても励みになりました
 ・中学時代に何度も読んだ本の作者の方だったので講演を聞けてよかった
 ・私は現実的な進路こそが正解なのだと思っていました。しかし、今回寄藤先生のお話を聞いて“正解はないのかな”と思うようになりました。
 ・非常に楽しめました。
 ・打ち込めるものがある人生を目指したい
 ・素晴らしかった!!憧れていた方と会えて嬉しかったです。
 ・ありがとうございました。
 ・感動しました。
 ・本当にありがとうございました。
 ・こんな素晴らしい方ととても近くで会話することができ、大変貴重な体験をすることができました。
 ・「自分だけの絵」と「社会人の絵」という話や、「絵を描く」ことと「デザイン」は違うという話、とても面白かったです。
 ・講演全体がとてもユーモアに満ちていてずっと楽しく聞いていました。
 ・目標物・目的物に至るまできちんと筋道を立てているのに対して、感情的な部分も核としてあって素敵だなと思いました。






寄藤先生、参加者の皆さん、協力してくださった皆さん本当にありがとうございました!!