清風寮

清風寮

清風寮全景(昭和50年頃)

 小伝馬町校舎で忘れてはならない思い出のひとつが清風寮です。 開校とほとんど同時に、遠方から来る生徒のための居住施設として、 寄宿舎が設けられました。「本校寄宿舎は全て家庭的に組織され、 日常の炊事は勿論、米穀・薪炭(しんたん:たきぎやすみなどの燃料)の購入 、内外の洒掃(さいそう:水をそそぎ、塵をはらうこと)、来客の応接に至る迄、生徒自身、其局に当たり居るを以て、本校の主眼とする美風は・・・」と当時の記録にあり、生徒の自主的な運営組織によってすべてをまかなう伝統がありました。当初南寮と北寮の二棟がありましたが、昭和4年ころ移転改築されて一棟になり、昭和27年には当時の大森校長によって清風寮と命名されました。また、大森校長作詞、山下千鶴子教諭作曲の寮歌も作られました。
 昭和51年の閉寮までに約60年の歴史を持ち、この間に同寮で寝起きし学んだ生徒は500人にのぼります。寮には厳しい舎監の先生がおり、新任の男性教諭たちが見学に来ようものなら怒鳴りつけられる程の「女の城」であったそうで、寮生への躾も厳しいものでした。柏原への校舎移転に伴い、数多くの生徒達を育て見守ってきた清風寮も、その長い歴史に幕をおろすことになったのです。

南寮と北寮

南寮と北寮


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