折々のメッセージ(学校長より)

 

 

後期始業式  先輩からのエール

 

半年前の前期始業式で、ラ・ファオンテーヌの寓話から、父の遺言に従って「宝物」を探す兄弟の話をしたのを覚えていますか。その時、自分の経験から「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる」と感じていること、「何の意味があるのか」と懐疑的な問いがあとあと大きな糧になると思っていること、を皆に話しました。

それから暫くして伝え聞いた、大阪大学文学部長の卒業式式辞が心に残っています。「文学部って何の役に立つのか」という問いに対して、他の学部に比べて答えの難しさが格段に違うことを認めつつも、「文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路に立った時」と、卒業生に語った内容です。人生の岐路として、恋人にふられたとき、仕事に行き詰ったとき、親と意見が合わなかったとき、そして晩年に長らく単調な老後を迎えたとき、などを挙げていました。

 後期のスタートを機にして、先日新しい生徒会役員が決まりました。立会演説会ではそれぞれの推薦人と共に、この演台で全校に語る姿と話した内容をよく覚えています。失敗など恐れずに、臆することなく果敢に、主体的に、さらなる岩高生徒会を創り上げてください。

そんな全校生徒の英知を結集していく後輩たちにエールをおくる先輩の思いが、『岩高PTAだより』に載っていました。さきの岩高祭実行委委員長は、こう述べています。「長い準備期間は、思い描いていたものとは大きくかけ離れ、苦難と葛藤だらけでした。思い通りにならない苛立ちや創り上げることの難しさ、自分たちで主体的に動くことの大変さなど多くのことを学びました。岩高祭を終えた今でも、皆さんが楽しめるものになったか、私にはハッキリとはわかりませんが・・・」と。

ここにいる599人の生徒諸君、われわれ職員48人、皆が努力と成長の過程にあって、勿論欠点は欠点として峻別されながらも、全員が「変わりうる者」「育ちゆく者」として受容されるのです。

すぐに役立つことなど少ないです。すぐに成果が得られることも多くありません。

だからこそ、心に正直に、世の中の動きに誠実に向き合って、自分の道を歩んでください。そして、目の前に現れた課題には果敢に挑んでください。

皆を応援します。

これで後期を始業します。

平成29年10月2日

校長 新海 節生

 

岩高PTAだよりに寄稿

 

平和を愛する君たちへ

 

保護者の皆様へのPTAだよりを通して、子どもたちにメッセージをおくります。

72年前に広島と長崎に原子爆弾が投下され、そして終戦を迎えた同じ8月、全校生徒・職員で映画「この世界の片隅に」を見た。3学年通信にはこう書かれている。呉で再三発令された空襲警報。人々は次第に緊張感を失っていく。しかし、ある日、米軍の脅威は現実となり市民の命を奪う。先日発動されたJアラートが重なった。世界平和という言葉が一瞬にして空疎な響きだけを残すことにならぬよう、今こそ「平和は対話の終着点である」ことを思い返さなければならない、と。

選挙権を得て初めて投票したのは、21歳の時。中学まで坊主頭であった私が、肩まで髪を伸ばしていた頃である。この選挙の争点は「一般消費税導入」であり、その是非を問う衆院・参院のダブル選挙であったことをよく覚えている。国民に痛みを求めることを決断した当時の大平正芳首相は、しかし、選挙のさなか急死してしまう。クリスチャンであった大平元首相の、言葉の多弁さのみで国民を操ることをしないという政治信条を知ったのは、それから数年後のことだ。

民主主義とは、多数派が物事を決めて少数派はそれに従うだけ、というものではない。意見を異にする同士が、話し合いながら肩を組んでいこうという仕組みであり、戦後最初の英首相クレメン・アトリーが唱えた、「他の人の方が正しいかもしれないと考えられる謙虚さ」を忘れてはいけない。

先日亡くなられた羽田孜元首相を悼む天声人語には、私鉄バス会社での10年余の勤務ぶりを次のように紹介している。第一希望ではなかった会社で、やりがいを見いだし、定期券を売り、観光ツアーを企画した。添乗すれば、体調のすぐれないお年寄りをいたわり、ワイパーが壊れれば雪の中で窓をふいた。そして、そんな添乗員経験が「羽田氏の持つ視点の低さを育んだ」と評する友人がいる、と結ばれている。

18歳で選挙権を持つ生徒諸君、宇宙から見れば青く美しい地球は、あちこちで紛争や平和を脅かす出来事が起きている。日本のこれからを担っていく君たちは、過去から語り継がれる教訓を忘れずに、自分の心に正直に、そして世の中の動きに誠実に向き合ってほしいと心から願っています。

 

平成29年9月11日

校長 新海 節生

 

 

同窓生並びに地域の皆様 ありがとうございました

 

拝啓  時下ますますご清栄のことと、お喜び申し上げます。

日頃より、同窓生並びに地域の皆様には、物心両面にわたりご支援とご協力を賜り、心より感謝申し上げます。

さて、全国高等学校野球選手権長野大会における準々決勝、準決勝では、皆様のご支援により生徒600名での全校応援ができました。準々決勝での勝利の瞬間、長野オリンピックスタジアムに駆けつけた生徒、保護者、同窓生、地域の方々で埋まる応援席が歓喜で大きく揺れました。また、準決勝の5回表に逆転先行した時、確かに「夢」をみました。

この佐久・小諸に生まれ育ち岩高に入学した子どもたちが、甲子園出場を目標に精進してきた野球班員とともに高校野球に夢中になる姿、そして勝利を祝す校旗掲揚の際、炎天下で応援し続けた生徒と職員が岩高校歌を高らかに謳う姿を目にすることができ、校長としてかけがえのない喜びが胸にあふれました。

短い時間の中で、同窓会役員の皆様が駆け回って下さり、そして皆様から心温かいご芳志を頂けましたことに改めて御礼申し上げます

敬具

                           平成29年8月4日

                                   岩村田高等学校長  新海 節生

 

 

夏に思う

 

 沢村栄治投手の背番号14は、読売・ジャイアンツの永久欠番です。

 名を冠した沢村賞は、プロ野球界で最優秀の成績を収めた投手に贈られるもので、2014年には長野商業高校出身のオリックス・バッファローズの金子千尋投手が受賞しました。

 沢村は京都商業の時に甲子園で活躍し、中退して巨人に入ります。日米のレベル差がとても大きかった当時、わずか17歳で、あの伝説の大リーガーのベーブルースやルーゲーリックを三振に切って取った若武者です。しかし、日中戦争が始まった戦時でした。沢村の剛速球に国民がいかに歓声をあげても、徴兵の対象からは外してくれません。彼に召集令状が届きます。

 手榴弾という武器があります。普通の兵隊は30m投げるのが精いっぱいなのに、彼はボールより3倍重い、この手榴弾を80m近く投げたとも言われます。上官は当然喜ぶわけです。沢村は投げ続けさせられたために、大切な右肩を壊し、戦地から戻った時には、推測160キロといわれる剛速球は投げられなくなっていました。

 そこで苦心の末、サイドスローに変えて、またノーヒット・ノーランを成し遂げます。そんな時、二度目の召集令状が届き、また銃弾が飛び交う戦場に向かったのです。この徴兵で左腕を大けがした満身創痍の体は、ボールを投げられる状態にはありませんでした。

 ようやく祖国の地を踏むことができた沢村、投げられなくても野球に関わっていたかったのだと思います。あのベーブルースをうならせた彼が、守備練習でノックの手伝いをしていたと聞きました。

 そして、再々度令状が届きます。京都商業を中退していなければ三度の応召はなかったという声を聞きます。

 終戦の前年1944年に、フィリピンに向かう途中で米潜水艦の攻撃を受けて、妻と幼い娘を残し27歳の若さで戦死しました。

 沢村栄治投手の生誕100年の今年、7月8日に第99回全国高等学校野球選手権長野大会が開幕します。

                                                                  平成29年7月5日

校長 新海 節生

 

 

第54回岩高祭が近づいています。

 

 作曲家ショスタコーヴィチは、「私たちは音楽の戦士なのだ。私たちには将官などいない。他人が君に石を投げようと、ステージを下りてはならない。しっかりと舞台に立ち・・・最後まで演奏するのだ」と語りました。

 この言葉は、音楽についてのものですが、文化祭についてもまったく同じです。生徒一人ひとりが主人公。自らのステージで完結するまで躍動し、文化祭という舞台で青春の1ページを謳歌してください。

 文芸系の班員は、練習や研究、制作を続けてきました。これまでの思いを発露する場として、保護者や地域の方々にご覧いただく場として、この文化祭を大切にしてください。また、文化「祭」が意味するところは、多くの人が楽しむ、「あおはる(青春)」の場でもあります。

 最大の知恵と力を結集して、最高の岩高祭を創り上げよう。

 

                               H29.06.23

                                 校長 新海節生

 

 

第39回吹奏楽班定期演奏会に寄せて

 

  咲き誇っていた桜も今は新緑を輝かし、初夏の清々しさを感じるようになりました。

 本日は、吹奏楽班第39回定期演奏会にお越しいただき、心より感謝し歓迎申し上げます。このような演奏会が毎年開催されますことは、皆さまのご支援の賜物でありますとともに、人はかわっても演奏への意志が先輩から後輩へと連綿と受け継がれているからだと思います。

 5月の連休には、この演奏会に向けて卒業生も集り、班員とともに朝から夕方まで音楽を奏でていました。校長室に届く響きに、本校吹奏楽班が目指す「おん〜音から伝える意思〜」を確かに感じました。

 詩人の西條八十は、歌謡曲の作詞家としても知られています。彼が作詞するようになるには、ある理由がありました。関東大震災の夜、西條は災害を逃れて、上野公園の松の根方にうずくまっていた。暗闇の中、ここに避難してきた人々は疲労と不安で、ほとんど口をきけなかった。その時、ある少年が小さなハーモニカで皆が知っている歌謡曲のメロディーを吹き始めると、化石のような群衆の間から、ささやきの声が起こり、ある者はあくびをし、ある者は立ち上がって埃を払い、歩きまわり始めた。歌謡曲の力を目にした西條は、「青い山脈」など多くの人々が愛し口ずさむ歌を作詞するようになったそうです。

 休日の一日、本校吹奏楽班の定期演奏会が、皆さまの明日への力を生み出す原動力になれば幸いです。心ゆくまでお楽しみください。

                                                                         平成29年6月4日

校長   新海 節生

 

 

岩高同窓会報(第48号)寄稿

 

ごあいさつ

 

                            学校長  新海 節生

 

 日頃より、同窓会の皆様には物心両面にわたりご支援とご協力を賜り、心より感謝申し上げます。

 平成28年度末の人事異動により、下伊那郡の松川高校より第25代校長として着任いたしました。歴史と伝統に輝き、同窓生の皆様が佐久・小諸をはじめ、国内外に活躍する本校に勤務することは身の引き締まる思いであります。父が戦地より戻り療養の後、初めて高校教員として奉職したのが岩村田高校であり、70年という長い時間の中で、父子でお世話になることへの感謝とともに、私が奉職する結びの場がこの岩村田高校であるということに、稀有な思いを感じております。

 着任後まもなく、校長室の書架より『岩高八十年誌』を手に取りページをめくる中で、経済成長を支え国民生活の安定をもたらしたのが工業教育であり、昭和36年に設置された機械科、それに続く電気科、そして電子機械科の三科が果たした重要な役割と、ここで学んだ卒業生が大きく寄与してきたことを知りました。

 さて、中学3年生が受ける大学受験から、大学入試の内容も評価方法も大きく変わります。「生きる力」「確かな学力」を保障するため、高校教育・大学教育・大学入試の一体的改革が具現化しており、知識記憶型の「吸収する知」だけではなく、自ら考え表現し受容できる協働型の「創造・発信する知」が求められています。今までの一点刻みの知識や暗記に偏った受験勉強では、対応できない時が三年後に迫っています。

 普通科のみの高校として三年目となった今、この一体的改革への対応が喫緊の課題です。大学入試は通過点に過ぎませんが、生徒の力を確実に伸ばし進路実現に導くことは、岩高を信頼し入学した子供と保護者、地域に対して果たさなければならない使命だと思います。この一体的改革に対して後手に回ることは、大学にとっても存続の危機を招きかねず、国立大学もアドミッションポリシーに適った多様な受験生を受け入れ、特定な分野に卓越した学生を集める動きと、本来のAO入試を真剣に導入し始めています。東大の特別枠入試では、高校の総合的学習で学んだ探究的学びを判断の一つに加味しました。また、この4月には早大でも新たな入試を発表し、地域に何を求めどのように探究してきたかという新思考型(地域連携)が導入されます。

 二年前、信大入学式での学長挨拶の文言「スマホやめますか、信大生やめますか」が大きな話題になりました。式辞を読むと、二者択一に迫るものではないことが分かります。この文言の後には、「スイッチを切って本を読みましょう」「友達と話をしましょう」「そして自分から考える習慣をつけましょう」と続きます。学長は、信大生には物事を根本から考える独創力が豊かなことを自負し、入学生に喚起したのだと思います。確かに、上場企業が回答した就職力大学ランキングで、独創力第1位の大学です。

 岩高は、信州教育の充実に尽くした教育者で、佐久の先人にも選ばれる初代校長の佐藤寅太郎先生の「信頼に足る人物たれ」という建学の精神を継承しています。普職併設校から移行した今、そしてこれからも、あらためて地域とともに歩みながら、個々の生徒の将来を保障できる教育を進めたいと思います。この岩高同窓会報を手にされる同窓生の皆様、10年後の、20年後の母校の発展のため、引き続きご支援をお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

 

 

岩村田高校新聞寄稿

ゆったりとした時間の中で

 

7年前、長野市内の定時制に勤務していた。仕事納めの12月28日、皆で職員室の大掃除を行った。机の周りの整頓、書類の整理、そして窓ガラス拭きなど、日頃の慌ただしさとは違い、ゆったりとした時間だった。掃除を終えて新聞を開くと、米国のフォード元大統領について記した天声人語の記事に目がとまった。

ジェラルド・R・フォード。1974年、初めて日本を公式訪問した米大統領である。記事によると、彼はとても不器用な人だったようで、「歩きながらガムもかめない」と揶揄されたようだ。その反面、飾り気のなさと誠実さから、多くのアメリカ国民に愛された。

 この1974年(昭和49年)は、私が高校に入学した年である。チューリップや吉田拓郎、井上陽水といったフォークソングが全盛だったあの頃、高校生はよく喫茶店でたくさんの話をし、笑い合い、一杯のコーヒーでゆったりした時間を過ごしたものである。私にもよく通っていた喫茶店があり、そこでは自分たちの話しの中へ、マスターが少しだけ大人の言葉で語りかけてくれた。当時は、ハンバーガーもフライドポテトもコーヒーのおかわりもなかったけれど、「訳もなくお茶を飲み話したよ」という、ガロの曲の世界のような時間がとても好きだった。

 40年近く前のことなので、携帯電話などもちろんなく、「約束」というものが、たとえ友だち同士であっても、とても大切なものだったように思う。約束の時間に間に合わないとか、行けなくなったということを簡単に連絡する方法がなかったから、よほどのことが起きない限り、みんなが必ず守ろうと思っていたはずだ。掌の小さな画面で、あらゆることができるようになった今、得られる便利さの陰に、そうとは気づかずに失ったものがあるように思う。

 さて、私が通っていた喫茶店は、今でもマスターがゆったりとした時間が流れる店のカウンターに立っている。懐かしいフォークを耳にした時は、マスターの淹れるコーヒーを飲みに寄りたくなるのである。

 

                               平成29年4月12日

校長 新海 節生

 

 

入学式式辞

 

新入生の皆さん、そして保護者の皆様、本日はご入学おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。ご来賓の皆様、ご多用の中、ご列席いただきまして感謝申し上げます。

 さて、皆さんの入学に当たり、今日は、「行動規範と倫理」、つまり人が生きていく中で、何を大切にするか、ということについて述べたいと思います。

 数学者の藤原正彦さんは、小学校では英語教育は必要ないと、辛口の論陣を張ってきたことで知られる人です。藤原さんは、満州国の首都、新京に生まれ、敗戦前後には、ソ連軍の侵攻により苦難の逃避行を経験しています。また、今日の国際化・グローバル化・情報化という世相の中、大学入試改革・高校入試改革が進められていますが、これらの必要性を早くから声高に主張してきたのも、藤原さんでした。

 彼が書いたベストセラー『国家の品格』には、このように書かれています。

 人間が生きていく中で、大切な行動規範や倫理は理屈で教えることはできない。育っていく過程で、自ずと身につくものであり、もっとも大切なことは、ウソをつかない、卑怯なことをしない、弱い者いじめをしないことだ、と。

 このような行動規範や倫理は、日本の社会の中で、長い時間をかけて蓄積されてきたものであり、世界のどこへ行っても通用するものだと思います。そして、接触がなかった民族同士が、初めて面と向かった時に、互いがどういう行動規範や倫理を持ち、どのような意味を持っているかが明らかになります。

 江戸時代、日本は二百数十年にわたって鎖国をし、異文化との交流をほぼ閉ざしました。1860年に、日米修好通商条約調印のために、村垣範正、小栗忠順などの使節が、太平洋を渡ってアメリカへ行きました。このときに、彼らの正装、正式な服装は狩衣・烏帽子で、床に正坐し日本風のあいさつをしました。そのような行動をとったからといって、野蛮な輩と見なされることは全くありません。どこへ行っても好意をもって、あたたかく迎えられたのです。当時のアメリカ人から見れば、村垣らが奇異な立ち居振る舞いをしたとしても、異なる行動規範や倫理を持って生きている優れた人間たちだということを感じ取っていたのです。この時のアメリカの新聞には、「聡明かつ知的で、何よりとても理解力に優れている」と報じています。

 つまり、風俗習慣は異なっていても、確立された行動規範や倫理をもっていれば、世界のどこへ行っても、高く評価され、敬意の念で迎えられるということです。しかし、それは強制されたものでなく、長く受け継がれてきた風習や価値観の中で醸し出される、という絶対的な条件がありますと思います。

 この絶対的な条件を反故する動きが隣国で生じていることも確かです。しかし、かの朝鮮半島北部はかつて高句麗の頃より、日本に大きな文化的影響を与えてきた地域であることも忘れてはなりません。互いに敬意をもって行き来した親善な間柄です。

情報が溢れんばかりになっている今だからこそ、高校生に多面的で複眼的な見識を育てることが大切であって、それは公立学校の責務だと感じています。

「ウソは言わない」「卑怯なことはしない」「弱い者いじめをしない」という藤原正彦さんが主張した、人として守らなければならない三カ条を、入学生諸君には、是非伝えたいと思ってきました。

 この佐久・小諸のすばらしい自然の中、新たな学び舎となる岩村田高校で知性と教養を磨き、倫理感を高めていってほしいと願いと期待を託して、入学式の式辞といたします。

 

平成29年4月6日

 

長野県岩村田高等学校長 新海節生

 

 

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本校は、信州教育の充実に尽くした教育者であり、佐久の先人にも選定されている初代校長の佐藤寅太郎先生の「信頼に足る人物たれ」という建学の精神を引き継いでいます。

 

 普職併設校から移行し、普通科単独校として三年目を迎えた今、あらためて地域と共に歩みながら個々の生徒へのきめ細かな教育を進めています。所在する佐久平は地域医療の先進的な地域であり、四年制大学を目指す生徒と共に医療系進学者が多いのも特徴のひとつです。

 

 本校では、ふるさとを大切にする心を育む「信州学」を進める中で、平成22年度より、NPO法人の協力のもと、生命の大切さと生態系からの恩恵を学ぶことを目的にした、ロードキルや駆除動物の解剖実験を行っています。生徒は、次のように述べました。「私たちが豊かに暮らせるのは、さまざまな自然環境を踏みつけているからだと思う。自分からの目線で考えることは大切だけれど、それ以上に他者からの目線で考えることの大切さを学んだ」と。

 

 昭和の頃、ふるさとのもつイメージを詩的な言葉で表したのは南信州出身で国文学者の西尾実です。待ちわびていた父母への思いを、「あの遥かな空の下で、年老いた父と母が炉を囲んで、わたしの帰っていくのを待っていたのは、幾年、幾度であったか」と述懐しました。あれから半世紀が経ち、交通・情報通信網は急速に発達し、モノの流通・人の移動をはじめ瞬時の情報伝達、そして掌の小さな画面で何でもできるようになった今だからこそ、生まれ育った佐久・小諸で、自分のアイデンティティを具現化することが大切だと思います。

 

                            平成29年4月18日

                          第25代校長 新海 節生